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「僕らの紙版画日記」

「僕らの紙版画日記」


少ないけれど色々な、そんな世界が僕の原版の上に再現された。流れ星や満月や海や岩や虎や手摺。

1997年12月9日。
紙版画で年賀状をつくろう。紙版画とは、厚紙の凸版を用いてプリントした絵のこと。作り方はカルチャースクールで習ってきた。必要なものは、厚紙、のり、ローラー、インク。
準備ができたら下絵を描こう。

まずは虎から連想する。二匹。雄と雌が決まる。場所はどこかの岬になる。肌寒い夜。波の音が聞こえる。そんな風に浮かんでくるイメージを下絵に描く。
次に月や虎の下絵をカーボン紙で厚紙に写す。それから必要なところを、丁寧に切り抜く。星のきらめきや虎の目には細やかに指を使う。
切り抜かれた虎を見ながら、向きは二匹とも左側、西の方で大丈夫、と思う。
そしてまっすぐな水平線はカッターに定規を添えて切る。
切り抜いた厚紙を遠くの景色から順に貼りつけていく。遠くから近くへ重ねて逆に、近くの手摺から強くプリントする。
貼りつけられた虎は、空に浮かぶ鳥のようだ。ごつごつした岩は滑らかになった。小学校の時、図工が苦手だったことを思い出す。
最後にカバーをつけておく。これでインクをローラーでのせる際、インクがあふれても平気になる。
とうとうプリントするための原版が完成した。指で目の前にそれを立ててみた。
原版の中の手摺に凭れて、ふわふわと進む虎と虎を眺めてみる。ゆっくりで、加速度はついていない。そろそろと進む。

さあ、早いとこインクをのせてプリントしよう。インクはローラーで広げよう。
そしてそれから宛て名を書こう。

(同人誌「蕾」 1998年4月号)

IMG_0001-2.jpg
城ヶ島公園 2008/3/1撮影
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「僕らの大島日記」

15年近く前、カルチャースクールで「小説創作」講座を1年間受講していました。
故人である作家田久保英夫先生の講座でした。

講座は夜でしたから、仕事で疲れていつもうとうとしていました。(ああ、もったいない)
眠気と戦いつつ取ったメモも数年前の引越しで捨ててしまいました。
最も鮮明に覚えているのは、いつも両手を前に拡げて、身体の中にあるものを受講生に向けて放出するかのような姿勢で、ゆっくりと話をされていたことです。
お話された内容は今ではぼんやりしているのですが、「伝えたいことがあってそれを伝える」「良いものは良い。そこには賞があってもなくても関係ない」という意味のことであったかと思います。
いろいろな作家の短編をテキストにして講義は進みましたが、「このなかにはある」「そこにはある」というふうに、何があるのかの説明はないのに「ある」とおっしゃっていたと思います。
「ある」ものは「ある」のでしょう。

その講座では、年2回同人誌を作っていました。
「蕾」という冊子ですが、そこにエッセイを2回載せてもらったものを、つたないものですがここに一つ掲載します。
ちなみに「小説創作」講座でしたが、ただの一つも小説はできませんでした。


「僕らの大島日記」


格好良く坊やを諭す従弟が眩しかった。小学校低学年の夏休み、私と私の一つ年下の従弟は、山口県南東部の周防大島へと祖母に会うために、そして遊ぶために帰っていた。
自然のある田舎の遊びは一人でも楽しいが、仲の良い親戚の子供同士が揃うとますます面白くなるものだ。
彼は世話焼きで威勢が良く、寺のあちこちで鳴きたてる蝉やら、蜜柑の木にはり付いている髪切虫(当時この害虫は役場が1匹20円程で買い取っていた)やらの採集隊でも隊長で、だからまだ3つ4つの島の坊やにもなつかれていた。
その暑い日、蝉取りの後、帰る時がきてもまだ一緒に遊びたいと泣いてぐずる坊やに向かって、お母さんが心配するやろうもう帰らなあかん、と言い聞かせている彼の姿は、まだ母親に甘えるばかりの幼稚さでいた私の心を強く揺すぶった。
内向きで気弱、そしてその反動か他人には妙に醒めた格好をし始めたようなその頃の私だったが、彼が「あかん、あかん」ときんきん目の前で繰り返し、坊やも次第にうん、うん、などとべそをかきつつも頷いて、二人の熱いドラマを演じれば、さすがに自分も何か言わなくちゃと思うほどにせき立てられたと記憶している。
そして彼の言葉の端を拾っては、だめだよあかんのよ、なんて私は繰り返していた。

結局それからどうしたかは覚えておらず、彼とは中学の頃まで幾度かやはりその島で遊んだが、その後かれこれ十年近く会うこともなかった。

5月の連休に川崎の姉宅へ立ち寄った折、従弟が山口県光市でひと月前に海の事故で亡くなったことを聞かされた。20代も半ばの突然の死に対してただとにかく心がさわぎ何も考えることなどできなかった。しばらくの後、いつかの夏の情景と、もう会えなくなってしまったという言葉だけが代わる代わる頭の中に浮かんできた。私はそれをそのままに反芻しながら、ゆっくりと帰りの駅までの道を歩いた。

(同人誌「蕾」 1997年10月号)

社内報の編集後記

うっかり口をすべらしてしまう、そういう一言には気をつけたほうがいい。今年の正月、姉の話に、上司に向かって上司の意見のことを「一理ありますね」と言い、上司に「俺の話は一理しかないのか」と怒られた、というのがあった。姉も余計な一言を言ってしまったものだな、と笑ったが、先日、上司の提案を「それもあるにはありますね」と言ってしまった。当然「俺の提案をあるにはあるとは何事だ」と一喝された。考えていることと反対の言葉がつい口に出てしまうこともある、というのは言い訳。血は争えない。何はともあれ、仕事中に油断は禁物である。


過去に会社で社内報を編集していたことがあって、上記は2003年に社内報の編集後記に書いた文章です。
ここのところ本や新聞の引用であったり、ほかの人の話であったり自分の作ったものでないことでブログを書くことが多かったと思います。
本当はやっぱり自分で考えたもののほうが、すっきりした気持ちで掲載できます。
このブログによく古い写真を掲載していますが、今度は古い文章を載せてみました。

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デンドロビューム・ラランジャ(詳細不明) 2006/1/31撮影
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