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Rlc. George King‘Serendipity’AM, CCM/AOS

「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想展・追記」

一昨日、この美術展の感想を書きました。
会社の後輩も観たらしく「ほつれ髪の女」について、「はっとさせられた」「女性の表情そのものをかすめ取ったような印象」と感想を言っていました。

そして今日の毎日新聞に真矢みきのこの美術展へのコメントが出ていました。
「絵画こそが美を永遠にとどめるんですね。前面に押し出してくるのではなく、そこにただ存在している感じ。真に美しいものは、主張せずとも私たちを魅了するんですね」
「謎が謎を呼ぶ、ロマンチックな世界、でしょうか。分からない部分があるからこそ、ひかれるものってありますよね。『ほつれ髪の女』は、まさにそう。ダ・ヴィンチの絵は、科学者的な視点と同時に、想像力をかきたてる『余白』を残してくださっている気がします」
「委ねる部分を持つ深さこそが、芸術だと思っています」
「1枚の絵で、長編小説や大作映画を観たに等しい感動がありました」

これらの感想の中で、一番気になったのは、「委ねる部分を持つ深さこそが、芸術」という言葉です。
1枚の絵画を観て、いろいろな人がいろんな感じ方をする、同じ人でも観るタイミングによって違う感じ方をする、同じ人でも成長すると見え方が違ってくる、ということでしょうか。
確かに文章でも含蓄のある文章は、それを読む時期によって感じ方が違ってきます。
委ねる部分を持つ深さというのが含蓄ということだろうと私は理解しました。
真矢みきは、演技もその受け取り方は観る人の感性に最後は委ねられると共感しています。
だけれども「見てくださる方を導きたい地点は、しっかり持って演じます」と言っています。
演技にも何らかの意思が込められているんですね。
絵画だって、小説や映画を観たに等しい感動を生むには、込められたものがないはずはありません。

作品や演技に込められたもの、それはなんでしょうか。


※展覧会の様子を伝えられればと思い多数の引用をしたのでまとまりがなくなってしまいましたが、今度、引用することについて書いてみたいと思っています。


写真は藤沢さいか屋洋らん展の展示花です。

DSC00664-3.jpg
Rlc. George King‘Serendipity’AM, CCM/AOS 藤沢さいか屋洋らん展展示花 2012/1/7撮影

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