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C. trianae f.concolor‘Oto’

昨秋ごろ、私はある人と話していて「お金にある程度余裕がないと心がすさみがちになる。」と言いました。
しばらく経ってからときどき本当にそうなのか気になっていました。
お金があったって心はすさむ、なくたって優しい心持ちの人はたくさんいるではないかと。
ブログにどのように書こうかなと思っていたところ、今日下記の文章を読みました。

「恒産のないものに恒心のなかったのは二千年ばかり昔のことである。今日では恒産のあるものは寧ろ恒心のないものらしい。」 芥川龍之介「侏儒の言葉」より

辞書を引いたのですが、恒産とは一定の財産、安定した職業のこと。恒心とは常に定まっていて変わらない正しい心、ぐらつかない心のこと。

引用した文章は、孟子の「恒産なきものは恒心なし」からきたもので、この意味は「定まった財産や職業がなければ、定まった正しい心を持つことができない。物質面での安定がないと、精神面で不安定になる。」ということ。しかし芥川龍之介が言うのは孟子の生きていた二千年前はそうだったかもしれないが、今日では一定の財産や安定した職業のあるような者は、むしろ安定した正しい心を持っていないらしい、と言っているのです。

私のは部分的な話でしたが、少なくとも「お金にある程度余裕がないと心がすさみがちになる。」と言ったのは撤回しようと思います。
こんなことを言ったのは、自分自身にお金がなくなることを想像して、心がすさんでしまわないかと恐れたのかもしれません。
心の持ちようは、本来財産や職業とは関係ないのでしょう。

ところで、ふと「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もあるじゃないかと思いましたが、これは金銭で成り立っている関係は、金がなくなれば終わるということで、心で繋がっている関係が終わるとは言っていません。

昔にくらべ今は豊かな生活ができますが、それに応じて心も豊かになったでしょうか。
以前書きましたが「仮りに同一量の石炭から得られるエネルギーがずっと増したとすれば、現在より多数の人間が生存し得られるかもしれないが、そうなったとした場合に、それがために人類の幸福が増すかどうかそれは疑問である」とのアインシュタインの言葉もあります。

当たり前だと言われるようなことを繰り返しますが、心の持ちようは、本来財産や職業とは関係ないのでしょう。

IMG_6420-3.jpg
C. trianae f.concolor‘Oto’ 花径12×13cm 6花茎13輪 2013/2/9撮影
(EOS5D2,EF70-200mm F4L IS USM,200mm,185mm,F8,SS1/125,ISO400,絞り優先AE,AWB,トリミング)

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